学んでいる皆さんへ ―カルヴァンの祈りの紹介―
高木創(東北地区主事)

神学校1年生の終わりころ、卒業を控えた先輩から一つの「祈り」を紹介されました。それは、宗教改革者カルヴァンの「学校で学科を学び前に唱える祈り」です。その時以来、いつもというわけではありませんが時々この「祈り」を読むことで、私は学ぶ姿勢を正されてきたように思います。そこでこの巻頭言では、まさに今学んでいる皆さんの学びが良きものになるようにとの気持ちを込めてこのカルヴァンの祈りを紹介することにしました。ここに自分が学生のとき「このような祈りをもって学びに取り組んでいたかな」という反省も少しだけ込めて・・・。

長さの関係で全文を紹介することはできませんので、その冒頭を引用します。

 「すべての知恵と知識の源にています主よ、あなたはみ心のままにわたくしに、生涯を通じて潔く正直に自らを保ちうるように、若き日に教えを受けるみちをお与えになりましたゆえに、どうか生来理解力の乏しいわが知恵を照らし、授けられる教えを理解しうるに至らせてください。願わくは、わが記憶を確かにして、教えをよく覚えさせ、またあなたがわたくしにお与えになる機会を、不熱心のゆえに失うことなきようわが心を導き、心からふさわしき希望をもって教えを受け容れるものとならせてください。」(カルヴァン著『ジュネーヴ信仰問答』新教出版社141-143頁より。)

この祈りには、神が全知全能のお方であるという信仰、今学ぶ機会が与えられているのは神の導きによるものだという信仰があります。そして自分の記憶力や熱心の不十分さ自覚するが故にそれらを神が支えてくださるようにと願いが記されています。カルヴァンの記憶力は抜群だったと言われていますから、ここに神の御前にへりくだる姿勢を見る思いがします。

そして、「心からふさわしき希望をもって教えを受け容れるものとならせてください。」との祈り。学ぶことにある失望や無気力をもカルヴァンは経験していたのでしょうか。私は学びの最中で「この学びどんな意味があるのだ」「思っていたのと違う」、そういう思いを抱くことがあったように思います。この祈りの言葉に「心からのふさわしき希望をもって」学ぶ姿勢を教えられます。たとえそのときにははっきりと分からなくとも、学ぶことにはかけがえのない意義があり、だからこそ希望があるのだと思います。


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