『聖研・・おもしろい?!』
松元 牧子(関東地区主事)

皆さんは聖研に行く前には、どんな期待をしていますか?
皆さんは聖研を終えたとき、どんな感想を持って帰っていますか?

「今日の聖研おもしろかった!」「やっぱり頑張って来て良かった〜」
「つまらなかった。」「俺(私)って聖書読んでなさ過ぎ・・」
「あぁ〜やっと終わった。フー。」などなど。
聖研を通して信仰的に励まされ恵みを味わっている人も多くいると同時に様々な理由から聖研に期待できない、つまらない、という人もいるでしょう。でもきっと参加するからにはおもしろい聖研・励まされる聖研をしたい、という願いも持っているのではないでしょうか?

聖研が面白くなるかどうかの違いを生むのはまず、あなたが「聖書を本気で、本音で読んでいるか?」です。
聖書を読むときに神様からあなたへの語りかけとして真剣に読んでいますか?
また御言葉によって示された自分の現実に対して本気で本音で向き合っていますか?
変な暴露主義に走るのではなく、他のメンバーに自分のことを話すように強要するのでもなく、まず自分が御言葉の前に正直になることです。

共に聖書を読む中で私達はお互いを知り、お互いの中に働く神様を知ります。
未信者の参加者がいる場合、質問されて答えられなかったり、ときには批判ばかり受けたりする難しさもあるかもしれません。
でも、そのときに私達クリスチャンが分からない部分をごまかさずに真剣に聖書を知ろうと向き合い続けるなら、その姿勢が未信学生に聖書を本気で読もうとするやる気と個人的にイエス様と向き合う勇気を与えます。

もう一つは「聖研の中での問いや疑問に御言葉そのものから答えを見つける」ということ。自分達の感想や経験を分かち合うことと同時に、もしくはそれ以上にその疑問について御言葉そのものが何と言っているかを読んでいくと旧約・新約に広がる神様の壮大なスケールの御業が見えて来ます。
また、御言葉に焦点が合っていき、自分自身の姿が現御言葉の中に表されていることに気づかされます。

一人一人別の人格と命を与えられた私達が、力強く生きて働く御言葉を通して今も生きておられる神様を知り、私達も神様に知られる・・
これが「聖研のおもしろさ」だと私は思います。
聖研はいのちあるもの。だから、同じメンバーでも同じ箇所を読んでも毎回違います。
聖研の面白さ自体もいろいろな視点と体験から広がり深まるものだと思います。

これらの事は私が主事になって7ヶ月、多くの学内聖研に参加してきて実際に味わい、神様に教えられてきたことばかりです。
難しい御言葉との格闘の果てに目からうろこのような発見があったとき、また正直な分かち合いを通してお互いの事を前より少し深く知ることができたとき、身体は疲れていても、心が満たされてホクホクした気分で帰ることができます。
聖研に行く前より帰るときの方が元気になっていることがほとんど。
学生よりも数多くの聖研に参加できる・・これって主事の特権ですね。

皆さんの日常の聖研が神様を知り、神様に知られる面白さに満ちたものとなりますように。


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