『ほんの少しだけ』
吉澤 慎也(関東地区主事)

 半年くらい前の話だ。
 東京のお茶の水に、関東地区の学生が「ジムショ」と呼んでいるKGK全国事務所がある。ジムショには学生が使うことのできるギターが数本置いてあるのだが、そのうちの1本は弦が切れて使えなくなっていた。別の1本は弦が錆びていて、お世辞にも良い音とは言えない状態だった。これらのギターは主に学生が使うギターだから、ジムショに出入りする学生のうちの誰かがそのうち気付いて、弦を買ってきて張り替えてくれるだろうと、僕はひそかに期待してしばらく待っていたのだが、そういうことにはならなかった。

 同じジムショ内にはホワイトボードがある。これも学生がよく使っているものだ。このホワイトボードのマーカーも消耗品で、わりとすぐにインク?が切れて書けなくなってしまう。書けなくなったら誰かが古いのを捨てて新しいのを買ってくれば良いのだが、なかなかそうはならない。そしてしばらくすると、カスカスの文字しか書けない、ほとんど使い物にならなくなったマーカーばかりが残されて、それを使用する学生が「これ、使えねー」とブツブツ言っているのを何度か目にした。

 きっとそんなに難しいことじゃないんだ。近くのお店に行って買ってくるだけ。時間にして十数分、お金にして数百円。わずかな労力。ほんの少しの犠牲を払えば、みんなが助かる。ほんの少しだけ。

『何事でも、自分にしてもらいたいことは、ほかの人にもそのようにしなさい』 マタイ7:12

 時には思うこともあるんじゃない?「誰かやってくれないかぁ・・・」って。そして自分は何も動かなかったりするわけで・・・。

 人々の必要に気付くゆとりと、ほんの少しの犠牲をいとわない思いやりを、主イエス・キリストにあって大切にしたい(自分の偽善的行為を認める勇気も、かな?)。 周りを見渡してみれば、僕らの「ほんの少し」を必要としている人々は、実はたくさんいるのだから。

 全生活を通しての証って、こんな「ほんの少し」から始まるのかもしれない。


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