「今日もバイトに行く君へ」
吉澤 恵一郎(中四国地区主事)

 『だれもみな自分自身のことを求めるだけで、キリスト・イエスのことを求めてはいません。』(ピリピ2章21節)

 不況にあえぐ日本。と言われながらも、学生たちの大半はアルバイトをしているであろう。学生たちがアルバイトに困らない程度の不況を大騒ぎしている日本はやっぱり豊かなのかもしれない。私は学生たちがアルバイトをすることに反対するつもりはない。私自身、学生時代に幾つかのアルバイトを経験した。社会勉強にもなったし、必要なものを手に入れることができた。流行に敏感で、自由な時間が与えられている学生にとってアルバイトは生活の一部かもしれない。

 主事になって約5年。これまでKGKの集会や夏期・春期学校に誘うとき何度「アルバイト」を理由にクリスチャン学生に断られたことだろう。それぞれに事情があっての事と思うし、KGKに魅力がないのかもしれない。しかし、アルバイトに明け暮れているクリスチャン学生に問う!君たちは与えられている貴重な時間と大切なお金を本当にキリストにささげているか!!

 信仰生活に戦いはつきものである。戦いのない信仰ならその信仰はニセモノだ。しかし、日本のように合法的に信教の自由が認められている国では、外国のような迫害との戦いは稀かもしれない。しかし、日本のクリスチ」ャンは、世俗主義、物質主義という誘惑に無抵抗に飲み込まれているのではないか。

 KGKは他の伝道団体のように、プラカードを掲げて賛美をしながら行進するというような伝道方法を運動の主としてこなかった。それゆえ、「KGKは伝道しない」というような誤解を招くこともあった。しかし、KGKは伝道してきたのだ。それは「全生活を通して」「交わり」をしながら伝道してきたのだ。聖書的に言うなら「無言のふるまいによって」「神を恐れかしこむ清い生き方によって」伝道してきたのだ。

 「キリストを証する生き方」とは日常からかけ離れた、特殊なイベントやパフォーマンスではない。クリスチャンが聖書的な世界観をもって生活している日常そのものが証となるのだ。クリスチャン学生が遣わされている学校で学び、サークル活動を楽しみ、アルバイトをするというノン・クリスチャンと同じ生活を営みながらも「クリスチャンはどこか違う」と感じさせるようなキリストの香りを放つ生き方が証なのだ。君たちが友人と人格的な交わりを通してキリストを提示することが証なのだ。

 「教会は教会、大学は大学」「KGKはKGK、バイトはバイト」というような二元論的な生き方に流されてはいないか?世俗主義、物質主義という目に見えない偶像を無意識に受け入れてはいないか?キリストよりも自分自身を求める生活を愛していないか?貴重な学生生活を振り返ってみて欲しい。

 かけがえのない学生生活が主に喜ばれるものとなるように、「全生活を通しての証」ということ、学びにも、アルバイトにも、アパート生活にも意識して欲しい。


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