「Crossing cultures because of the Cross!」 (十字架が故に異文化へ)
王美珠(関西地区主事)

 皆さんは「Cross」という言葉を聞くと、どんなことが浮んできましたか?おそらく、十字架というイメージが自然に出て来るでしょう。英語を専攻している学生は知っているかもしれませんが、「Cross」のもう一つの意味は「怒り」です。我々が信じている十字架の意味は神様の愛の象徴でもあり、神様の怒りの象徴でもあります。ヨハネ3:16‐17にまさにその表裏一体の事実が記されています。この場を借りて皆さんと分かち合いたいのは、神様の関心は世界中の人々へ向けられているので、同様に私たちキリスト者も神様の御心を反映する器なのではないでしょうか。

 世界中の動向としてはグロバール化されつつあります。日本も例外ではありません。その中、資源の流通が容易になったし、文化の交流も簡単にできます。1999年5月の統計を見ると、日本に留学している学生数は5万5千755人でした。しかし、日本政府の目標は10万人へ増加したいのです。ですから、この留学生数を決して無視できることではないと思います。皆さんのキャンパスの中にきっと何人かいるでしょう。外国人との交流についてのことに触れる前に、一つ気がかりなことを抱いています。それは、今の学生、いや若者の現実を見ると、果たしてそれは可能できるのかと疑ってしまいました。というのは人間関係に悩まされたり、人への不信感に陥ったりする学生も珍しくなくなるからです。言い換えれば、自分の同胞との人間関係でさえもトラブルが生じるならば、まして異文化との交流は可能であるでしょうかという素朴な疑問があります。ところが、私は日本の学生に対する夢の一つは、学生が自ら積極的に神様の愛をあらゆるの民族に示すことです。

外国人と友情を深めるに当たって意識してもらいたいこととは・・・

1.自己認識
 即ち、自分のアイデンティティーはどこにありますか。日本人の場合は集団にあるとよく言われます。一方、アメリカ人の場合は個人にあります。大まかに分けると、西洋人の個人主義と東洋人の集団意識になると思います。確かに、同じアジアでも、自己認識の差があります。一つの例を挙げます。日本に来たばかりの頃、道を歩いている人たちが似たような格好をしたり、同じ色の髪の毛をしたりすることに驚きました。まるで、人間を生産している工場に入ったようでした。よく考えてみると、やはり目立ちたくない気持ちや仲間に入れてもらいたい気持ちなどが強いのではないかと思います。必ずしも、それが駄目だと言えませんが、ただ、こういう意識は他文化にない、日本の独特な現象かもしれません。異文化の人と接している過程の中で自己吟味が必然的に起こり、考えさせることが多いのです。ですから、自国の歴史・文化の背景・家族の背について深く理解しておく必要があります。

2.価値観・世界観
 この点は留学生に限らず、日本人の友達に対しても意識する必要があります。友達の価値観を見出すために、次の提案をしたいのです。

{価値観}

{世界観}

これらの質問はあくまでもヒントとなると思いますが、きっと皆さんの方からもっとあるに違いありません。価値観と世界観というのは広範なものであり、忘れてはならないことは聖書に照らし合わしながら友達と接することが重要です。

3.時間の概念
 先進国や途上先進国や西洋の国などはともすれば時間に対して厳守しがちです。ところが、時間よりも人を大事にする文化も存在しています。例えば、アフリカ陸の大半の国、インドネシヤ、フィリピン、タイ等などはのんびりとした概念を持っています。どっちが正しいか一概に何とも言えませんが、言えるのは時間の概念がいつのまにか私たちの中に植え付けられてしまいました。日本人やシンガポール人にとっては時間に束縛していない世界を理解し難いです。しかも、良く耳にするのは 「Time is money」というスローガンです。あくまでも、経済面に繋がっていくことを残念に思います。人に時間を割くのを惜しんでいたり、バイトばかり熱中になっていたりするのは果して聖書的なのですか。ここで、福音書に描写されるイエス様像をもう一度観たら、良いのではないでしょうか。

4.宗教の位置づけ
 ここで、前提にしているのは無宗教以外の人のことです。宗教の受け止め方は人それぞれだとも言えます。次の質問は、留学生の宗教観への理解を促してくれるのが狙いです。その人にとって:

5.差別意識
 おそらくこの点が入っていることを意外だと思う学生もいるかもしれません。しかし、アジアから来た留学生とアメリカや欧米から来た留学生は差別意識に対して異なると思います。ここで、大きく分かれるのは戦略された歴史があるかどうか、また、植民地された経験があるかどうかによって差別意識が変わってくるのです。言うまでもなく、日本の戦争責任は未だにも未解決のままです。アジアの留学生はどのぐらい意識しているか否かにもかかわらず、キリスト者の姿勢として、どのように和解まで持っていけばよいのかが問われます。ですから、日本人の学生にもっとアジアの留学生と交流して欲しいし、主の導きにより、十字架における和解を伝えて欲しいのです。

 今まで、留学生と接している上で持って欲しい意識が述べられました。では、実際に自分のキャンパスで出会った留学生とどのように関われば良いのですか。幾つかの提案をしたいです。

学内での実践の心得

1.留学生に対する意識改革
 まず、偏見を捨てることです。言葉が通じないだろうと決め付けて避けまくるのが典型的なパターンです。こちがケアしなければならない存在ではなく、むしろグループの貴重な財産となるのです。なぜなら、彼らの存在によってグループに刺激を与えたり、グループ全体の成長を促すに違いありません。私の担当しているブロック(京滋)は去年と一昨年にイギリスの留学生が加わり、多くの刺激を与えてくれて聖研の手引きまでも作成してくれました。本当に感謝です。

2.留学生の心境を知る
 留学生の心境は時間につれ、段階的に変化していきます。その中に、ひどくカルチャーショックを受ける人もいます。来日してからしばらくしてこういう変化が考えられるでしょう。

  1. ハネムーンの時期:すべてのものやことに対して魅力を感じています
  2. 反発感を覚える時期:現実が身に染み込んできたら、挫折したり、批判したりする時期です。
  3. 受け入れた時期:物事が受け入れられるようになり、精神的にも、気持ち的にも落ち着いてきた時期です。

3.友達相手にする
 一緒に食事へ誘ったり、話す時間を設けたりするのは好ましいです。その留学生の家族・国・興味・文化・信仰に対して積極的に興味を示すことになるでしょう。それに、留学生の心境の段階的な変化に応じてふさわしい助けをしてあげることです。OCFの働きも大切ですが、しかし、一人ひとりが聖書的なヴィジョンを抱いてくれれば、もっとすごいことになるだろうと思います。

4.祈りの材料にする
 留学生の国の情勢(新聞やニュースからの抜粋)を把握し、学内の祈り会で取り上げて覚えることです。特に、未信者の場合は彼らの救いの為に定期的に祈ることです。自分の無力さを感じながらも、全能者に信頼し、彼らの救いを求めていくのです。

5.聖研に招く
 それはグループにとって最大なチャレンジかもしれません。グループのない場合は1対1でやってもいいと思います。どんな手引きを使ったら良いのかをKGK事務所にいろいろと置いてあります。あるいは、主事たちに聞けば教えてくれるでしょう。

最後に
 聖書は在住異国人に対する態度について数多く書かれてあります。今、私たちの生きている時代は地の果てまで行かなくても地の果ての人たちに会うことができるになった時代です。私たちキリスト者にとっては意味深いことだと思います。この動きは決して偶然ではなく、むしろ神様の摂理に預かっていると言っても過言ではありません。神様が私たちに何を求めておられているのか吟味しなければなりません。福音はあくまでも個人的な所有物だけではなく、また、福音を伝える責任は牧師先生や宣教師にあるということでもないです。私たち一人ひとりにかかっていることに他なりません。ですから、学生の皆さんに一つ一つの出会いを大切にしてもらいたいのです。

「人の子が来たのも、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための贖いの代価として、自分の命を与えるためなのです。」

マルコ10章45節


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