ALIEN募集
カレン・ダルダ(中四国地区主事)

 それは約10年前のことだった。始めて日本に上陸し、ドキドキしながら入国管理を通ろうとした時のゾッとした経験でした。皆様の中にご経験がおありな方もいらっしゃると思いますが、入国管理を通るために2列に並びます。よく見ると、その2列の上に2つの看板があって、それによって皆が列を選ぶ訳です。その2つの看板に何が書いてあるかというと、一つに『日本人』、もう一方『ALIEN』と書かれた訳です。ALIEN?!急いで確かめてみると、確かに飛行機の中で変身した訳でもないし、国を出ると同じ、今でも普通の人間ではないか。ガアアン!!ガッカリ。いくらなんでも、ALIEN扱いはないじゃないかと、先までの興奮した気持ちが弾けて、他の日本人ではない/ALIEN人間と一緒に並んだ。

 それからあれこれ10年が経った。10年の間にALIENの生活を続けて、あの時と同じ気持ちを何回も繰り返してきました。でもなんだかんだ言ってALIEN生活を苦痛と思わないようにするいろんなコツを身に付けた。周りと同じ言葉をしゃべる、周りの文化を理解し、慣れる努力をし、そして積極的に参加する。できるだけ自分のALIENな存在を隠し、できるだけ目立たないで、できるだけ皆と同じ人間関係を作ろうとした。そして不思議なことで、時々自分はALIENであることでさえ忘れてしまう。うまく自分を誤魔化した訳だ。そしてそれができたと感じた時、自分を誉めた。でも、もともとはALIENですから、「みんなと同じ」なんて、慣れる訳がない。そうなろうとしている自分は自己存在否定しただけだ。

 ところがある日、更にぎょっとした経験をした。ひょっとして、クリスチャンの私達も同じようなことをしているんじゃないか。クリスチャンとしてこの世で生きることは、当然この世と違う価値観、違う世界観、違う優先順位を持つけれど、友達に福音を伝えたいと言ういい動機で、神の子として自分の本来ある在り方を隠しているだけではないか。もしかすると、福音を伝えるなんて、単なる言い訳に過ぎず、本当は神の子として堂々と歩むことは恐い、勇気がないだけではないか。皆にALIEN扱いを嫌がってたと同じように、クリスチャンだからALIEN扱いも嫌がっているだけだ。そして。その内うまくその本来ある姿を隠し、恐ろしさの余り、神の子として選ばれたそのふさわしい在り方を忘れてしまう。

 では、自分は本当に周りと同じようになりたいかとよく考えてみると、決してそうではない。ああゆう、確かな希望と確信のない生活なんて、もうコリゴリ。自己中心で、平気で人を自分のために使う、信頼のない生活はゴメン。寂しいから変な男女関係や酒生活に振り回されているなんて、イヤ。表面的に輝いて見えるけれど、表面をはがすと残っているのは空っぽでブラックホールのような不安。そんな生活、正気ならば欲しいとは思わない。お父さんと呼べる全知全能の創造主でおられる神様の子ならなおさらのことです。

 でも欲しくなるですね。なぜでしょう。それは全知全能の創造主、父なる神様から与えられている言葉の注意も約束も本気で信じていないからではないでしょうか。「貞操にない人達。世を愛することは神に敵することであることが分からないのですか。世の友になりたいと思ったら、その人は自分を神の敵としているのです。(ヤコブ4:4)」という厳しい注意も、「神に近づきなさい。そうすれば神はあなたがたに近づいて下さいます。罪ある人達、手を洗い清めなさい。二心の人達。心を清くしなさい(ヤコブ4:8)」という憐れみ深い、希望と赦しに豊かな約束も、両方とも私達が知っている神様からいただいた言葉です。両方とも本当で、両方とも可能。どっちを選びますか。どっちでも選ばないということは既に前半を選んでいるということですね。

 このように、この世の者ではないけれど、この世に遣わして下さる神様は、その道を「ALIENの道」として歩んで欲しい。けれど、それは私が勘違いしたように、ただ単にALIEN扱いを我慢することでもなく、またできるだけ目立たないことでもない。あえて、ALIENとしてプライドを持って欲しい。なぜなら、あなたはこの世の在り方を満足しなくてもいい、いや、満足してはいけないからだ。あなたの本当の居場所は別にあるからだ。あなたにはこの世のものより、もっとふさわしい在り方も目標もあるからだ。聖書的な価値観や世界観を持つということは単なる抽象的な曖昧な考えではない。誰でも欲しいけれど、誰も自分の努力で手に入れない永遠の命が、既にイエス様の十字架と復活によって確かにあなたに与えられている。こんな希望が既に与えられているにも関わらず、希望のないものを求めたりすることはバカバカしいことだと思いませんか。ALIENとして歩むことは、聖書で約束された希望と命の確かさが生活のあらゆる場面に表れてくるもので、ALIEN的な歩方によって、周りの人達もその魅力さにひかれて、あなたに与えられているものが欲しくなり、「ALIEN」になりたいと思うことでしょう。

 そして最後に、神様にほったらかしにされて、一人で歩めとは言われていない。神の子とされたことは神の業ですから、その道が歩めるために例外なく、十分な助けも用意されている。クリスチャン同士の主にある交わりと励ましの祈り。真実の御言葉の教え、そしてそれを実行するために全知全能、創造主である父なる神様の豊かな愛と恵みと力が待っている。

 皆さん、一緒に「ALIEN」をやってみませんか。


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